「えー?何??
お前まだサンタとか信じてんのー??」
「あんなもんいないに決まってんじゃん」
「わ、分かってるって!言ってみただけ!」
あれから何年経っただろう。
クリスマスプレゼントを貰える歳も過ぎて
サンタクロースがプレゼントをくれているわけ
じゃないことも分かる歳になったけど、
未だ私はサンタがいないという
確証を持っていない。
サンタとは、白髪に白い髭を蓄え
赤と白の衣装に身を包み、クリスマスの日に
トナカイの引くソリに乗って
子供たちにプレゼントを配るおっさんである。
毎年クリスマスになると
ツリーの飾りつけをしてケーキ食べて、
欲しいものを書いた手紙を玄関に置いて寝る。
朝起きたらツリーの側に
プレゼントが置いてあるってのが
うちのクリスマスだった。
子供の頃は、
「わーい!サンタさんからのプレゼントだー!」
つって意気揚々とプレゼントを開け、
1日中貰ったおもちゃで遊んでいた私も
小学生になり、学年を重ねていくうちに
だんだんとサンタクロースなるおっさんに
疑いを感じるようになっていた。
始まりは、サンタの絵本を読んだ時に
ふと思ったことだった。
(うちに煙突なんてないけど・・・・)
そう、サンタは絵本では
煙突から家に入り、子供の枕元に
プレゼントを置いていく。
それなのに、うちに、というか日本の民家に
煙突なんてほとんどないじゃないか。
・・・玄関でいいのか。
この問題はすぐに解決した。
ところが、疑問がもう1つ。
サンタはどうやって私の欲しいものを
把握しているのか。。。
サンタが私の欲しいものを把握するには
私が玄関に置いた手紙を見る必要がある。
手紙を置くのはせいぜいイブの2、3日前だ。
おかん
「ちゃんとサンタさんに言ってあるからええねん」
そうして、私の第一次サンタ疑惑は
終わった。
特に何の疑問も持たずにクリスマスを
迎えていたある年、教室で
サンタの話題になった時にあるクラスメイト
によって衝撃的な見解が出された。
クラスメイト
「あんなもん、親に決まってるやん」
サンタクロース親説である。
こうして私の第二次サンタ疑惑が始まった。
イブの夜にはないプレゼントが
朝になれば現れるなら、
サンタはイブの夜から次の日の朝にかけて
家に来てプレゼントを置いていることになる。
ならば、、、
作戦① 「徹夜」
起きていれば現場を抑えられる。という
シンプルなものだったが、失敗。
気付いたら布団の上で朝を迎えていた。
作戦② 「ヤクルト」
当時、私には来客にヤクルトを手渡すという
訳の分からないマイブームがあった。
玄関に置いた手紙の上にヤクルトを置いてみた。
翌朝、空になったヤクルトと
手紙の端にThank Youと書かれていたのを
見たときに、純真な私は
本当にサンタが飲んでくれたと思った。
ヤクルトの蓋には小さな穴が空いていた。
今になって思うと、完全におかんが
ヤクルトを飲み干してThank Youと書いてる
絵面しか思い浮かばないので腹が立つ。
よしんばサンタ本人でも、
蓋を全部取ってから飲めよ・・穴空けるって・・。
作戦③ 「サイン」
サンタにサインをねだってみた。
この頃になると私も知恵がついてきて
サンタが日本語を扱うのはおかしいことくらいの
判別はできた。
サンタが親ならば、『サンタクロース』
かせいぜいアルファベットだろう。
翌朝、サインは小さなメッセージに添えて
綺麗な達筆の筆記体で書かれていた。
「これなんて書いてあんのー??」
おかん
「こんなん読まれへんよー」
作戦③の失敗によって
私は完全にサンタクロースを信じ、
サンタが親ということの確実な証拠を
得られないままに、サンタにプレゼントを
貰うことのできる歳を過ぎた。
後々になって、そういえば
おかんは英語が出来たので筆記体くらい
わけなく書くだろうことに気づき、
自分で書いたであろうサインに
「こんなん読まれへんよー」
つったおかんにまた腹が立った。
サンタはたまにおそらくわざと
プレゼントを間違えた。
手紙にプレステと聞いたら
訳の分からないスケボーのゲームが
届いたことも、ゲームがおもちゃになった
年もあった。そんな年は決まって
「サンタさんも重くて持って来れんかってんね」
とおかんは言ってのけた。
笑点を見ながら、ビールを飲むおとんと
腹筋ワンダーコアなる訳の分からないマシーンに
情熱を燃やしているおかんを見て、
こいつらに本当に子供の夢を守るとかいう
考えがあんのか?と疑問に思いながら、、
あれからもう10年近く、
私はもう22歳になろうとしているけど
イブが来る度に
「サンタってあんたらやろ??」
と聞く私に
「あんた何言うとん?」
と返す両親のおかげで
私はまだサンタクロースを
完全には否定できない。