自分は何のために働いているのか

残業続きの夜、電車の窓に映る
スーツ姿を見て考える


私って何のために
頑張ってるんだろう・・・


つっても漫画アプリで
無料キャンペーン中のるろうに剣心とかを
読んだ後なんだけど。

理想があるからギャップがあるってのは
誰が言った言葉なのか

仕事の量がどんどん増えて
それでも人員補強はされなくて。
上に決めてほしいことは何も決まらなくて。
決まらないことに意見をしたら
その案件の担当窓口にされて。
後輩指導は指導方針ごと全て丸投げされて。
私よりも遥かに給料の高い上の世代は
定時で悠々と帰って行って。
私とほとんど変わらない世代の子たちは
私の4分の1くらいの目標で。
でも自分とあんまし給与は変わんなくて。
活動内容よりも数字でしか評価されなくて。
相談しても飲みに行くかしか言われなくて。


あぁーー牙突放ちてえー
オフィスチェアの背もたれのバネの
ぐわんぐわんする反動を利用して
牙突ゼロ式放ちてえー

もうね、しかるべき人がいるなら
上に書いた「仕事がクズ龍閃」を
神速で叩き込むから私は。

これはこうするべきじゃないの?
何で私がやるの?いやでも、
あの人もこういう立場で・・頭の中に
自問自答がよく回るようになってきた
同時に、スマホの検索のサジェストも
仕事の愚痴を探すものになってきている

そうして検索して出てきた
「上司の仕事を肩代わりしてみよう」
だとか
「コミュニケーションを積極的にしよう」
だとか
何の役にも立たないアフェリエイト記事に
また神経を逆撫でされる。


そんな時、私はよく頭の中で対話をする


「私は何に怒っているのか」


もう数年この手の問答を繰り返して
今の自分の中に答えは見つけてる
結局のところ私は
その人が与えられている役割を
こなしていないことに腹が立っているのだ。
でも、その役割は誰が決めているのか?
と言われれば
それは私自身の勝手な期待でしかない

本来こうあるべきでしょ
というあるべき論は各々が持っているので、
私の思う正解と人が思う正解は
=じゃないのだろう

人を変えるよりも自分を変えた方が早い
上の人間や評価の制度を
変えることが出来ないのであれば、
今の会社で昇給を決める評価基準にない活動
をしても仕方がない
確かにそれは一つの正解なのだろう

何だったらその人たちも昔は
同じ怒りを感じてたかもしんないし・・
今のまま行けば、そのうち私の溜め込んだ
怒りは行き所を失くしてしまう
与えられたノルマのみ達成することで
自分が楽になるならその方がいいのかもしれない


・・・でいいの?


この問答を続けている限り、
私は病気になるなどの外的要因によってしか
今の仕事を変えることは出来ないのかもしれない


あなたは何のために仕事をしてるの?
この世の中には私が知っているより遥かに
色々な仕事があるらしい。
地元の友達、大学の同期、
会社の後輩、同期、先輩
私は、古今東西ありとあらゆる場で
この質問をしてみる

少なくとも私の周りでは
終身雇用が当たり前の時代の人は、
「仕事だから」
転職が当たり前の時代の人は、
「こういうスキルを身につけたいから」
「生きるため」

聞いた中で
仕事の愚痴がヒートアップする人たちは皆
何かしらの理想があるように見えた


「理想があるからギャップがある」ってのは
誰が言った言葉なのか

日夜仕事に勤しむ人たちが
私のブログにたどり着くことは
ないのかもしれない

それでも偶然たどり着いた人たちが
もし何か自分の考えを持っていれば
今後の参考に是非教えて頂けると嬉しいです